京都で一番ときめきが止まらないデリヘルは『ドキドキ』!

京都の町名看板「仁丹」以外にも 百年前?含め67種類確認|京都デリヘル ドキドキ

24時間営業中|075-634-7288
メニュー

新着情報

京都の町名看板「仁丹」以外にも 百年前?含め67種類確認

2014/09/18 21:33

長谷川 せな(はせがわ せな)です。

京都市内には仁丹の町名看板以外にも多くの広告主による町名看板が残っています。

左京区の岡田英三郎さん(72)が調べたところ、67種類を確認したそうです。

昭和を感じさせる電機メーカーや栄養ドリンクから、今はもうない娯楽施設まで。長年の風雨にさらされながら生き残った路傍の「道案内役」が、見る人を昔にいざなってくれます。

「100年近い歴史があるかもしれない貴重な看板」と岡田さんが言うのが大丸の木製看板。伏見区上板橋町の民家の2階部分に掲げられています。丸の中に大の文字をあしらった商標と、右から書かれた大丸の文字。その下に大きく町名が彫られています。

現在残る仁丹の町名看板のほとんどは、鉄板の表面にガラス質の釉(ゆう)薬を吹き付けたホーロー製。医薬品会社「森下仁丹」(大阪市)が1910(明治43)年、郵便配達人が困らないように設置を始めたとされ、初期の頃の木製が今もわずかに市内で確認されています。仁丹以外の町名看板は多くが鉄製かプラスチック製で、木製は珍しいそうです。

百貨店の大丸は江戸期の1717(享保2)年に伏見で呉服屋として創業しました。「設置時期は定かではないが、創業の地で地域貢献の意味を込めて一定の枚数を設置したのではないか」と岡田さんはみています。

高島屋の町名看板もあります。右京区の清滝トンネルを越えた嵯峨清滝町に残っています。区名と町名の下に書かれた広告主名が消えかかっているが「嵯峨自治連合会」と連名で高島屋の文字が見えます。

岡田さんは高島屋の社名が入った町名看板を広沢池近くで見たことがあるといい、嵯峨嵐山地域で普及していたとみています。百貨店としてはほかに藤井大丸の「フジイダイマル」が今も市街地に残っています。

広告主の業種は多岐にわたります。中京区を中心に見かける武田薬品工業の栄養ドリンクの「お疲れにアリナミン」やバス会社の「帝産」、大正銀行(大阪市)の1958~89年に使われた行名「大正相互銀行」、伏見の酒造会社の銘柄「英勲」などなど。今も健在の老舗菓子店や病院、すし屋の名前のほか、コンビニのローソンもあり、70年代以降の設置例があることが分かります。

20140918181810kaban450